LOOKな自転車 - MTBルック自転車
ルックな自転車。メーカーのLOOKじゃないよ。
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■地震発生
ねごさんの住む仙台市では、震度6弱~震度6強の震度だった。
人生初体験の震度で驚いたけど、もっと驚いたのは、その長さだった。
通常の地震の場合、長くても30秒ぐらいでおさまるものだけど、
今回の地震は3分弱もの間、揺れていた。
あまりにも長かったため、周りをよく見る余裕さえあった。
会社の事務所から見える、道を挟んだ向かいのビルが左右に揺れている。
ビルが、こんなに「動いている」現象は初めて見た。
地震発生から1分ぐらい経過したときに、揺れがさらに大きくなった。
ねごさんのデスクには、本棚が倒れてきてデスクを直撃した。
幸いねごさんは別の場所で打ち合わせしていたので、直撃は免れたけど、
後から確認したら、デスクが歪んで引き出しが開けられない状態になっていた。
ねごさんは、普段から冷静な判断ができる性格だと自負しているんだけど、
今回は、冷静すぎるくらい冷静だった(笑)
地震発生後、会社の人たちは全員デスクの下に隠れたんだけど、
ねごさんは、デスクを離れていたので隠れる場所がなかった(笑)
そこで、おろおろすることなく、物が倒れてきても安全なスペースを確保し、
周囲の状況をよく観察していた。唯一、天井が落ちてきたらどうしよう…。
なんて考えていたけど、天井が落ちてくることはなかった。
その後、社員全員は避難所へ移動し、ねごさんは、自宅へ直ぐに帰った。
こういう時は自転車が頼りになる。
街の中は、ガラス片が飛散し、信号が止まっていた。
一部の古い住宅のブロック塀が倒壊し、道を塞いでいたりもしたけど、
ねごさんは、avisports A-101ですんなりと自宅へ辿り着くことができた。
自宅は無事だろうか…。
■帰宅
自宅のマンションへ辿り着くと、案の定エレベーターは使えない。
息を切らせて階段を上り、自宅の階まで辿り着くと、
外見上は何の被害もなかったようだ。
急いで自宅に入ると、家族は全員無事だった。
しかし、室内は散々たる状況になっていた。
TREK7300を置いている部屋が一番被害が大きくて、正に足の踏み場が無い。
地震発生当時、妻は別の部屋にいて、急いで布団に潜って地震に耐えたそうだ。
その部屋の本棚も、当然のようにすべて倒れてしまったんだけど、
妻の自転車「BeONE」が、本棚を支える形になって、直撃を免れることができた。
■避難
余震がまだまだ続いていたので、必要な物を探し出し、外へ避難することにした。
マンションのエントランスには、住民が集まり、管理人さんが首からぶら下げたラジオを鳴らしている。上着さえ手にせず、あわてて外に逃げ出した住民もいたようで、薄着で震えている人もいた。
しばらく、外で余震の様子を窺っていたんだけど、あまりにも寒かったため、車に乗車して、暖をとることにした。
車に搭載されているテレビをつけた時、初めて津波が来ていることを知った。
仙台空港が津波にのまれた…。
■室内へ
車に避難してから7時間余り。携帯電話の電池が切れてしまった。
実家や会社関係の人に、散々連絡をいれているものの、つながったのは一回のみ。
そこで近くに公衆電話があることを思い出し、せめて実家だけにでも連絡をいれようと、何度も車と公衆電話の間を往復した。
往復すること6回目、地震発生から10時間経過したときに、ようやく電話がつながった。
ひとまず、懸念事項が一つなくなった。
燃料は余裕があったけど、今後給油が困難になる可能性がある。ここで燃料を使い果たしてしまうと、何かあった時に車が使えなくなってしまう。そこで、自宅室内に戻ることにした。
このとき、宮城県内全域で停電しており、街の明かりが一切なくなっていた。
絶え間なく遠くから聞こえるサイレンの中、夜空を見上げると、綺麗に輝く星空が広がっていた。
仙台に住みついてから21年。こんな夜空は初めて見た。
■寒い一夜
電気、ガス、水道。全部が止まっている。
電気が無ければ、ファンヒーターをつけることもできない。
服を着たまま毛布をかぶり、ソファーで一夜を明かす。
寒い寒い。
つづく…
ねごさんの住む仙台市では、震度6弱~震度6強の震度だった。
人生初体験の震度で驚いたけど、もっと驚いたのは、その長さだった。
通常の地震の場合、長くても30秒ぐらいでおさまるものだけど、
今回の地震は3分弱もの間、揺れていた。
あまりにも長かったため、周りをよく見る余裕さえあった。
会社の事務所から見える、道を挟んだ向かいのビルが左右に揺れている。
ビルが、こんなに「動いている」現象は初めて見た。
地震発生から1分ぐらい経過したときに、揺れがさらに大きくなった。
ねごさんのデスクには、本棚が倒れてきてデスクを直撃した。
幸いねごさんは別の場所で打ち合わせしていたので、直撃は免れたけど、
後から確認したら、デスクが歪んで引き出しが開けられない状態になっていた。
ねごさんは、普段から冷静な判断ができる性格だと自負しているんだけど、
今回は、冷静すぎるくらい冷静だった(笑)
地震発生後、会社の人たちは全員デスクの下に隠れたんだけど、
ねごさんは、デスクを離れていたので隠れる場所がなかった(笑)
そこで、おろおろすることなく、物が倒れてきても安全なスペースを確保し、
周囲の状況をよく観察していた。唯一、天井が落ちてきたらどうしよう…。
なんて考えていたけど、天井が落ちてくることはなかった。
その後、社員全員は避難所へ移動し、ねごさんは、自宅へ直ぐに帰った。
こういう時は自転車が頼りになる。
街の中は、ガラス片が飛散し、信号が止まっていた。
一部の古い住宅のブロック塀が倒壊し、道を塞いでいたりもしたけど、
ねごさんは、avisports A-101ですんなりと自宅へ辿り着くことができた。
自宅は無事だろうか…。
■帰宅
自宅のマンションへ辿り着くと、案の定エレベーターは使えない。
息を切らせて階段を上り、自宅の階まで辿り着くと、
外見上は何の被害もなかったようだ。
急いで自宅に入ると、家族は全員無事だった。
しかし、室内は散々たる状況になっていた。
TREK7300を置いている部屋が一番被害が大きくて、正に足の踏み場が無い。
地震発生当時、妻は別の部屋にいて、急いで布団に潜って地震に耐えたそうだ。
その部屋の本棚も、当然のようにすべて倒れてしまったんだけど、
妻の自転車「BeONE」が、本棚を支える形になって、直撃を免れることができた。
■避難
余震がまだまだ続いていたので、必要な物を探し出し、外へ避難することにした。
マンションのエントランスには、住民が集まり、管理人さんが首からぶら下げたラジオを鳴らしている。上着さえ手にせず、あわてて外に逃げ出した住民もいたようで、薄着で震えている人もいた。
しばらく、外で余震の様子を窺っていたんだけど、あまりにも寒かったため、車に乗車して、暖をとることにした。
車に搭載されているテレビをつけた時、初めて津波が来ていることを知った。
仙台空港が津波にのまれた…。
■室内へ
車に避難してから7時間余り。携帯電話の電池が切れてしまった。
実家や会社関係の人に、散々連絡をいれているものの、つながったのは一回のみ。
そこで近くに公衆電話があることを思い出し、せめて実家だけにでも連絡をいれようと、何度も車と公衆電話の間を往復した。
往復すること6回目、地震発生から10時間経過したときに、ようやく電話がつながった。
ひとまず、懸念事項が一つなくなった。
燃料は余裕があったけど、今後給油が困難になる可能性がある。ここで燃料を使い果たしてしまうと、何かあった時に車が使えなくなってしまう。そこで、自宅室内に戻ることにした。
このとき、宮城県内全域で停電しており、街の明かりが一切なくなっていた。
絶え間なく遠くから聞こえるサイレンの中、夜空を見上げると、綺麗に輝く星空が広がっていた。
仙台に住みついてから21年。こんな夜空は初めて見た。
■寒い一夜
電気、ガス、水道。全部が止まっている。
電気が無ければ、ファンヒーターをつけることもできない。
服を着たまま毛布をかぶり、ソファーで一夜を明かす。
寒い寒い。
つづく…
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